「カウボーイに履かれたカウボーイブーツ」
と不思議に思ったそうです。
と、満足感の方が大きかったように記憶しています。
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現代人はヒマじゃない
「ないない」と思っていた革の小銭入れを、どこかで落としていたらしく、警察署から連絡を受けて引き取りに行きました。
近くの郵便局で落としていたようで、受け取ったそれはやや黒ずんで汚れ、キズも入っていました。
なんだか気持ちも悪いので、きれいにしようと思い、私はサドルソープでまず洗いました。
サドルソープというのは、元々はその名の通り馬具のサドル(鞍)や手綱などをきれいにするために作られた、ロウやオレイン酸を含んだ固形石鹸です。クロム鞣しの皮革(過去のコラムご参照)を柔らかくする効果があります。
古き良き大西部の時代のアメリカで、サドルというのはカウボーイたちにとって、最も大切な財産だったのです。たとえば、賭け事で負けて、カネはすって、ブーツまで手放しても、サドルだけは守った。よもやサドルを売るハメになったら、「あぁ、あいつももう終わりだな……」と陰口を叩かれたことでしょう。
ですから、大切に手入れしたし、サドルソープというのは当時画期的な製品だったはずです。
使い方は、濡らして絞ったスポンジに取り、くるくると泡立てて汚れを落とし、最後に水で流すのではなく、固く絞った布で拭き取ります。
但し、現在ではサドルソープの洗浄効果や保湿効果は疑問視する声もあるようです。「汚れが革の繊維深くに入ってしまう」、「アルカリ性になるのでヒビ割れの原因になる」など。
私はごくたまにしか使いませんので、指摘されているような不具合は起きていません。使いすぎず、よく拭き取り、洗浄後に保湿クリームを塗ってやれば大きな問題にはならないと考えています。
博物館の展示物を処理しているわけではなく、日々使うモノを扱っているだけなので、あまり神経質になる必要もないのです。
結果、薄汚れて帰って来た小銭入れは、輝きを取り戻してきれいになり、それによりなんだかキズも目立ちにくくなりました。満足です。
昔、私の先輩が「筋トレは宗教みたいなものだ」と言いました。「ここをこうする」、「あれはこうやる」、「順番はこうする」「食べ物はこれがいい」などなど、それぞれ持論があって、統一された万人に適用する公式が見つかりづらい。はい、マニアックなレベルの人たちの話ですよ。
革の手入れもそれに近いものがあって、ネットで調べれば、「これで完璧!」、「頻度はこれくらい」、「これは絶対ダメ」など情報は満載です。
しかし、基本的には現代人はそんなに革の手入ればかりしていられるほどヒマではないのです。基本を押さえて、大らかに試し、自分なりの方法を持つのが、革との付き合いの一部ではないでしょうか。
それが私たちの考え方です。
「基本がわからない」という方はこちらをどうぞ:
スナワチwebサイトより「お手入れについて」
No Bullな、Bullの話
お子様は閲覧禁止:Parental Advisory
前回に引き続き、ブルの話です。
しかし、牛のブルではなく、英単語としてのbullの話に終始しますので、まったく「レザーコラム」でもない内容であることをご容赦ください。
bullは、英語の中では比較的よく使われる言葉です。
ダーツなどの的の真ん中のことを"bull's eye"(ブルズ アイ)と言います。
すなわち、「ブルの目」です。
標的の中心部のこと、またはそれに命中することを指すので、ど真ん中に命中させた時に、
"Bull's eye!!"
と言うこともあります。ほぼ「ボーザーイ」のように聞こえます…。
しかし、もっともよく使われるのは、"bull shit"でしょう。
「ブルのクソ」で、意味は「屑、デカいクソ」、転じて「大ウソ、インチキ、まやかし」です。
※通常、テレビ放送含め、公共の場所ではshitという単語は伏せるものですが、それだと伝わらないのでここではそのまま表記することをご了承願います。
アメリカの映画では、R18指定かもしれませんが、
「ウソつけ!」や「デタラメぬかすな!」と言う時に、この"Bull shit!"が出てきます。
私たちもよく知る"f--k"、所謂F-wordと呼ばれる単語や、この"shit"という単語は、公共の場では言ってはいけない言葉です。公共放送では「ピー音」が入りますし、中指を立てる行為もモザイク処理です。一応、それくらいマズいものと理解した方が身のためです。
でも、せっかく覚えた"Bull shit!"を使いたい時もあるでしょう。
外国人の友達がレストランで非常に下品な冗談を言った時など。
「日本女性のアレは横向きについてるんだろう?」
「Bull crap!」
"crap"(クラップ)は、"shit"のマイルドな表現です。
ちなみに、上記の冗談は本当にアメリカでまことしやかに言われている都市伝説みたいなものです。
しかし、クラップも下品は下品ですので、それすら省いて"bull"だけでも「ウソ、インチキ」という意味で通用します。
"That's bull."で、「それはデタラメだ」です。牛のことではないので、「a」が入らないところがミソです。
"This is no bull."なら、「インチキなし」、つまり「これは(紛い物ではない)ホンモノだ」という意味です。
さて、知識と教養を高めたところで(笑)、
大阪ブランド「KIGO」が手がけたインチキなしのブルハイド製品、見ていってください:
ブル? カウ?
スナワチで取扱う大阪ブランド「KIGO」では、ブルの皮革、すなわちブルハイドを使用したレザーバッグと財布を製作しています。
英語では牛はcattle(キャトル)ですが、他に性別や年齢などによって呼び方が様々あります。
Bull:
オスで「タマのついたままの」成牛。生殖能力があるということは、つまり体格が良く健康な、いわば選ばれし者でもあります。
Steer:
他の多くの雄牛は、生後数ヶ月で去勢されます。タマを取られるとステアとなるのです。食肉用にもっとも多いタイプで、普段ステーキで食べるような肉はこのステアでしょう。従って、革の流通量としても、ステアハイドが一番多いことになります。
Kip:
生後6~12ヶ月くらいの牛を指し、キメの細かい銀面(革のオモテ面)を持つ一方、繊維がある程度しっかりしているのがキップスキンです。『革の辞典』(スタジオ タック クリエイティブ発行)によると、生後の期間には「諸説あり」で、「ヨーロッパではキップとカーフの区別がなく、カーフに分類される」とあります。
Calf:
そのカーフですが、生後6ヶ月(10ヶ月と記載の資料もある)以内の仔牛。かわいそうなようですが、仔牛ですのでまだ傷が少なく、カーフスキンの銀面は滑らかで革質は柔らかです。
お気づきになったでしょうか。ハイド(hide)とスキン(skin)。大きな獣の革はハイド、より小さな動物の革はスキンということで、その総称がレザー(leather)です。
その他、
Cow:
すでに仔牛を産んでいるメスの成牛。一般にステアよりも生きて過ごす時間が長いため、革には引っ掻き傷や虫喰いなど自然の跡が残りやすい。
Heifer:
まだ出産をしていない雌牛。そのため、ヘイファ―の革はお腹の部分がより分厚くなる傾向がある。
細かくカテゴリ分けするとまだまだありますが、一旦充分でしょう…。
ホントはブルの話をしたかったのです。写真は、私がカナダのロデオ会場で、柵の外から恐る恐る撮ったブルです。
種牛として子孫を残すことを許された巨大かつ獰猛なやつらです。種付けの季節には牧場内のあちこちで忙しく「働き」ます。
仕事はそれだけで、子育てはしません。牛はいつも母子のペアで草を食んでいます。
あなたは、あなたの父親はどうでしょう。たまにちょっと反省したり、労ってあげたりしてください。
ブルハイドの「KIGO ハーフフラップショルダー」:
FILSONとの思い出
前回に引き続き、私の持ち物の話です。
私は米国シアトルのブランド、FILSONのトートバッグを長年愛用しておりました。
会社員時代も、出張にも行けるし、ジムに行く日も靴やシャツが入るし重宝してました。
レザーはブライドル(馬具にも使う丈夫なもの)で、少々の雨なら弾くキャンバス地もタフでよかったのです。
しかし、使いすぎてある時、前面のポケット下部が破けていることに気が付きました。
こういう道具が壊れる時は大抵縫い目です。
カバン本体とポケットを縫った部分の糸が、体と擦れることにより切れて、そこが裂けたようになってしまったのです。
レザーが切れることは、よほど乾燥させた上で酷使するか、犬にガシガシ噛まれるかしない限り(私はコレやられましたので…)ほとんどありません。
私は買った店に持って行きました。ところが相談すると、
「修理は受けられない」
と言います。
当時FILSONはゴールドウィン社が輸入代理店でした。本部がそう言うと店員さんは言うのです。
理由は「原状復帰が難しいから」。
つまり、「元通りのようにならないから」だと言います。
私は食い下がりました。
「いや、とにかく穴を塞いでくれれば結構ですので、ギザギザに縫ってくれても、パッチを当ててくれてもいいのです」
やはり、ダメでした。
FILSONというのは元々アメリカ西海岸の金鉱掘りとかハンターとかランバージャック(木こり)のための作業着ブランドです。
ですから、いつまでも新品同様でなくても、とにかく使えればいいのです。
私は北米への旅行を予定していましたので、シアトルのFILSON本部へ手紙を添えて、カバンを送りました。
「…というわけで、直してもらえませんか? ◯月◯日に日本から伺うので、その時に引き取りたいです」
メールで返信がありました。
「我々が検品したところ、修理よりも交換がいいように思うがどうでしょう?」
「構いません」と返信すると、後日明細書が送信されてきて、200ドルくらいだったか料金が書いてある。
「ん? 新たに買ったことになったの?」
と、私はよくわからなかったのですが、最悪それでもいいやと、旅に出ました。
その時はカナダでひとりハイキングをしに行ったのですが、最後にシアトルに寄って、FILSONを訪ねました。
「メールした日本人ですが、カバンを引き取りに来ました。」
店員さんは「ちょっと待ってて」と、奥に引っ込み、新品のカバンを手に戻って来ました。
「はい」
以上でした。請求されなかったんです。
何年も使ったカバンです。保証期間も何もありません。
アメリカの大らかさにシビレました。
スナワチでも修理依頼を受けることはあります。
クラフツマンの想定を超えた重い荷物を日々持たれる方もたまにいらして、やはりレザーではなく縫い目が負けてしまったりするのです。
FILSONは今ではなかなかの大企業ですから、我々はホイと無料交換とはいかないのですが、各ブランドは大概の故障は無料で修理を承ります。
有料/無料にかかわらず、修理できるものを修理して、また使ってもらって、また愛してもらうというのが、レザー製品を提供する者の基本スタンスだと考えます。
原状復帰ができないものもそりゃあります。レザーは使えば形状も質感も変わりますから、新しい部分を当てがったりすれば見た目のバランスは崩れるかもしれません。
しかし、それを理由にお断りしていたら、道具が道具でなくなります。一時の流行や、一回や二回の「シーズン」で終わる製品ではないのです。
確かに、私たちは世界でも有数の細かい日本人ですから、中には細かいことを言う顧客もいるのでしょうけど、道具というものを理解されている人なら、とにかく「これを使いたい」のです。
うれしいことに、スナワチのお客さんたちは皆そんな人たちばかりです。
手にして使って、手入れして使って、修理してまた使っていただく。
これが「愛する」ことであり、それに足る「愛せるモノを、持たないか?」というのが、弊社のスローガンです。
「愛せるモノを、持たないか?」
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愛することとは、使うこと
友人から「ブーツにカビが生えたんだけど、どうすればいいのか」と訊かれました。
私の答えは単純でした。
「ワークブーツなら丸洗いする。陰干しして、乾ききる前にオイルを入れる」だけです。
雑誌やウェブで色々と手入れの方法は詳しく入手できると思いますが、「ワークブーツなら」、私はそうします。
ドレスシューズなどはそうはいきませんので、ご注意下さい。
レザー製品にはそれぞれ用途があり、ワークブーツは文字通り、作業靴です。
戸外なら雨も降れば、泥に踏み入れますし、埃も浴びます。作業場なら油で汚れたり、ぶつけて傷つけたりと、様々な状況が想定されます。
私がカナダの牧場でカウボーイをしていた時は、持って行った20年モノのカウボーイブーツは牛糞塗れになりました。
そういうものです。
廉価なものではないため、箱にしまって、たまに取り出して愛でたくなるかもしれませんが、レザー製品は使わないと本来の意味であなたのモノになりません。
写真はちょっと珍しいカーキグリーンのRed Wingエンジニアブーツです。
買った時はうれしかったのでしょう、日付をタブに書き入れました。
「2006年7月23日」とありました。確か、FIFAワールドカップドイツ大会のあとでした。もう10年以上前です。
主にモーターサイクル用に履いていますので、傷もありますが、まだあと数十年はもつでしょう。
履く前にブラシして、ごくたまにクリームで手入れするだけです。
愛するモノのひとつではありますが、現代人はレザーの手入ればかりしているほどヒマではないのです(苦笑)。
それよりも使ってやること、履いてやること、その都度状態を見てやることが大切に思います。
付き合い方は人それぞれあるかと思いますが、私にとってはレザーはタフな相棒であり、それが製造された目的の通りに目一杯働いてもらって、たまに労わることを心掛けてます。
革を使う・着る・持つことの意味とは
レザーに触れると何故こんなに気持ちがザワつくのか。
レザーを着ると何故こんなにワクワクするのか。
ナイロンやポリエステルではこんな気持ちになりませんし、天然素材のコットンですら(少なくとも私は)ここまで延々語るべきを持つことはありません。
毛皮や皮革を身に着けることは、「死と再生」に関係があるそうです。太古・原始の文化において、普遍的な(すなわち世界中で確認されている)儀式や風習として、「獣の特別な力を得る」呪術的な行為だったというのです。
死者に着せる場合は、「より強い生命力を持っての再生・生まれ変わりを祈念する」ものとして、そして、毛皮を纏って踊ることなどは、「仮面をかぶることや刺青を入れることに共通する、異界の力を手に入れる変身にも似た手段」として、社会的意味があったのです。
レオナルド・ディカプリオが2016年に念願のアカデミー賞の受賞を果たした映画『レヴェナント』の中で、崖から落ちて死んだ馬の腹を裂いて、彼がその中に身を埋めて、一晩極寒に耐えるシーンがあります。これも、上記のような、馬が失ってしまった生命を代わりに受け取って、その生命力を自らに取り込むことによって強さを得るという意味、またはそうまでして生き抜こうという彼の決意の描写であったはずです。
〈『レヴェナント:蘇りし者』20世紀フォックス・オフィシャルページより〉
漫才のM1グランプリで笑い飯が「鳥人(とりじん)」という傑作漫才を披露したことがありました。
あの鳥人の元ネタである仏像が奈良県の興福寺にあります。迦楼羅像(かるらぞう)といってインド神話の中で、悪を喰い尽くし、人々に利益をもたらす巨鳥だそうです。
動物の頭をかぶるのも、変身の疑似行為です。獅子舞も同様です。
そういった人間を超越する能力の必要性、魔力への渇望、神話的思考が身近なものではなくなった現代の私たちにおいても、どこかで遺伝子レベルの何かによって、それを知覚することができるのではないでしょうか。
だからこそ、レザーに対してワクワクするような昂揚感が湧き立ったり、ゾクゾクするような色気を感じたり、何より、大切にしたいという気にさせられるのではないでしょうか。
ですから、レザーは特別なのです。
換言するなら、レザーを使うことで特別な気持ちにさせられるのなら、それは上に述べたようなレザーの特別な力を、あなたはすでに受け取っているということに他ならないでしょう。
オカルトではなく、人間の気持ちの動きとしてそうなら、心理的、いや、生理的な作用と言えるのでしょう。
やや理屈っぽい話になってすみません。
テキトーに掻い摘んで飲み屋での薀蓄話に使ってください…。
これをお読みになっている時点で、あなたはレザー好きなはずです。どうか名前や値段(安さ、もしくは法外な高さ)に惑わされることなく、本当に価値のあるモノを見抜いていただけることを願います。
「愛せるモノを、持たないか?」
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