sunawachi.com「レザー・コラム」

レザーにまつわるあれこれを不定期で書く、sunawachi.comのコラム

「軸足はちょいダサ」  

スナワチを発足させてもうすぐ2年になります。

経営方針を文章にしているわけではありませんが、言うなれば、反急成長、反流行です。その時々に流行っているものを追って、他社のヒット商品をパクッたり、ウワベだけの日本製とか本物のような惹句を並べてみるような恥知らずはやめておきたいと思っております。

その場しのぎのウソは大手のサラリーマンに任せておけばいいくらいに思って、どうせ小さな会社で、なんとか小さなままでいられないだろうかと虫のいいことを考えている弊社は、せめて世間にウソだけはつきたくないと日々思います。なんせ、ウソばかりの世の中ですから。

バカにしているのではありません。私自身も大手のサラリーマンであった経験を踏まえて、大量生産品を大衆に売らなくてはいけない図体のデカい組織は、その時一番売れるモノに飛び付いていく瞬発力で勝負するしかない哀しい事実を知っているだけです。鼻息の荒い経営者は別として、そこで働く労働者で、それに哀しさを覚えない人がいたら手を挙げてほしいです。

 

スナワチでは、取り扱う製品を決める際の選定基準だけは、言語化していまして、これは何度でもここに書きます。
道具として無駄がない革製品
革製品はあくまでも使われてこそ良さを発揮します。飾って眺めるものではないのです。

一貫した哲学に基づくデザイン
デザインの細部一つひとつに意味があって、理由がある。意味のない装飾は不要です。
革本来の手触り、風合い
レザーは元々獣ですから、それらしい表情と質感があって当然です。プラスティックや化学繊維のような均一性は一旦脇に措きます。
野性と知性を醸す凛々しさ
その獣の皮だったものを道具として持つ人には、知性が漂うべきです。矛盾するようですが、歴史的にも、そこが革の神秘的なところです。
持つ人に満足を与えられる存在感
革をふんだんに使った製品にはそれなりの重量ないし迫力が出るものです。

 

さて、カバンと財布のみでスタートしたsunawachi.comは、小物類も増やして、少しずつ充実してきました。製品ラインナップを眺めて、我ながら思うことは、
「うーん、ちょいダサだな……」
ということです。これは狙い通りというか、そうなるべくしてなったのです。
流行というものは、製品が持つ時間軸と、使い手の時間軸(ライフステージ)で見る必要があります。
まずはその製品やブランド名が、「今」にマッチしているのか、どうなのか。デザインや用途が現代、というかもっと言えば、この瞬間的な今に合致するものなのか。
そして、それを使うあなたの年齢や置かれた立場に適合したものなのか。


たとえば、「今20代である男性/女性のためにつくられた製品を使うあなたは、今20代の男性または女性なのか」という、製品の時間軸と使い手の時間軸が交差したポイントでもっとも「いいね!」となるわけです。
わかりやすく言えば、若者のためにつくられたモノを、私(スナワチ代表の前田将多)のような40代のおっさんが使っても、大抵の場合は「よくないね!」なのです。

ところが、レザー製品、特にスナワチが扱うような十数年もしくはそれ以上に渡る使用を前提にしたモノは、点ではなく、線で使う人に寄り添うべきものです。
あなたが40代になっても、50代になっても持つに足り、もしかしたら、次の世代まで受け継げる可能性まで秘めたものとしてのレザー製品です。
だから、ちょいダサなのであり、それこそがカッコいいと、我々は信じているのです。

実際、私の持ち物は、20年以上履いているブーツ、十数年着ている革ジャン、何年も使い込んだカバン、この先も何年にも渡って持ちたいハットや財布などなどで、どれも今風でなかろうが、多少ボロかろうが、愛してやみません。それらを手に取る時、ちょいダサい人間としての私は、深い満足を覚えます。

それは、買った日とはまた異なる種類の、静かな通奏低音のような喜びです。

 スナワチは、これを提供したいと思っています。今ではなく、何年もあとになってです。
最も手っ取り早いオシャレが流行を追うことです。これは言うなれば簡単なことです。ずっとカッコよくあることは難しいことです。なぜなら、今は見えない何かを見据えなくてはいけないからです。

追うべきは、流行ではなく、永遠なのです。

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